■思い出深い2試合の記憶
ファンサポーターのみなさま、いつもバルドラール浦安を支えていただきまして、ありがとうございます。私、岩本昌樹は2017-18シーズン限りでの現役引退を決断しました。大卒2年目に本格的にフットサルを始めてから、約20年。十分過ぎるほど第一線での現役生活を長くやらせていただきました。バルドラール浦安では若手選手も育ってきましたし、チームの新陳代謝も必要です。前身のPREDATOR URAYASU F.C.(以下、プレデター)を塩谷竜生社長たちと立ち上げてから、今年で20周年という節目の年でもあります。キリの良い数字でもありますから、現役引退を決めたことに悔いはありません。今後のチームにはすごく期待しています。
20年前にプレデターを立ち上げた頃、練習場は民間の施設や学校の体育館を借りる形で転々としていました。都内や埼玉県内で練習をすることもありました。今でこそ浦安市総合体育館を拠点に活動していますが、日々の練習はまさに“ジプシー生活”。でもフットサルをプレーする上でそうした環境は当たり前でしたから、不満はなく、そういう状況が当たり前だと思ってやってきました。フットサルで生計を立てることも難しかったですが、そうした苦労を打ち消すような情熱を持っていましたし、なんとかしてフットサルの環境を変えようという志を持ちながらプレーしてきました。
今でこそ全国リーグであるFリーグが創設から11年目を迎え、注目度も高まりましたが、僕がフットサルを始めてからはオフィシャルではない自主的に運営していたスーパーリーグなどができました。関東の有力チームが集結し、各クラブの上層部がスポンサーを募り、「いつかは全国リーグを作ろう」という志で頑張ってきました。そうして僕が31歳の時にFリーグが開幕しました。Fリーグの開幕は僕たちの志が一つの形になった瞬間でした。
現役引退を決めた今、忘れらない試合が二つあります。一つはプレデターが初めて日本一に輝いた2006年の全日本選手権決勝です。当時の選手権はフットサルの大会の中で最も注目度が高く、メジャーな大会だったため、プレデターが最も力を入れていた大会でした。僕はグロインペインを抱えながらグループステージは短い出場時間にとどまったものの、決勝では2ゴールを決めることができました。
2点とも鮮明に記憶に残っています。1点目はサイドで縦パスを受けてからニア上に決めた形。2点目は直接FKを決めました。ちなみに先制点は現在の高橋健介監督。塩谷社長たちとプレデターを立ち上げてから、選手権の優勝は日本一をずっと目指してきた中で、一番大きな目標を達成した瞬間でした。すごくうれしかったことを覚えています。ちなみに塩谷さんも泣いていましたよ。
もう一つは、Fリーグ2年目(2008-09シーズン)の代々木セントラルでの名古屋オーシャンズ戦。当時、名古屋が首位で浦安は2位。その“首位攻防決戦”に約7,000人のお客さんが詰め掛ける中、4-3で浦安が勝ちました。フットサルをたくさんの人に見てもらいたいという思いを抱えながらプレーしてきた身としては、7,000人ものお客さんが見に来てくれたという状況を作り出せたことが記憶に残っています。お金を払って試合会場まで見に来る価値があると思った人が7,000人もいた。そう思ってもらえたことがすごくうれしかったです。
■ファンサポーターあっての岩本昌樹
今振り返っても、フットサルを始めた頃は42歳まで現役を続けるとは想像もしていませんでした。31歳でFリーグが開幕して、「いつまでやる」とは決めていませんでしたから。フットサルという競技自体の魅力ですか? 小さい頃からボールを蹴ること自体が好きでしたし、フットサルはボールに触る機会も多いです。またフットサルは環境が整っていなかったからこそ、仲間やチームで戦術面や環境面を作り上げていくことができるのも面白かったですね。それは今も変わらないことですが、環境を変えていきたいという思いを抱きながらプレーしていましたし、勝つために自分たちでチームを作り上げていく、環境を構築していく。そういったこともフットサルをプレーする意味につながっていました。
スクールなどで子どもたちに教えていると、思うことがあります。子どもたちが今後もフットサルを続けていきたいとなった時に、彼らのプレーする環境が整っていないとなると、申し訳が立ちません。自分が環境で苦労しているぶん、もっと良い環境でプレーしてほしいと思います。僕は引退したあともフットサルに携わり、普及活動に力を入れていこうと思っています。選手をやりながらではどうしても時間に制限が生まれる部分があるので、ある程度自由が利く中でフットサルの環境を良くする活動に尽力したいと思っています。
例えば、仕事をしながらプレーをするのではなく、プレーだけに専念できる環境を整えることができれば、5年、6年と現役を長く続けられた選手がいたかもしれません。ただ現役を続けるだけでは意味はありませんが、長く続けないと生まれない価値・意味もあります。今の選手たちには現役を長く続けることで自分の価値を高めてほしいです。まだまだフットサルを取り巻く環境面で、もどかしいことがあるからこそ、後輩やあとに続く子どもたちのためにも環境を整えていきたいと思っています。急激にガラッとは変えられないので、地道に変えていきたいですね。
ファンサポーターの方々には感謝しています。応援してくれる方がいないとチームは成立しません。またファンサポーターの存在があるからこそ、選手の価値があるんです。ファンサポーターあってのチーム。ファンサポーターあっての選手ですからね。試合中の声援はもちろん聞こえていますよ。昔からいる選手だからファンサポーター方々の僕に対する思い入れも強いのでしょう。僕もみなさんが応援してくれるのと同じぐらいファンサポーターへの愛着があります。
選手とファンサポーターの距離感の近さもフットサルの魅力ですよね。フットサルの場合はスクールやクリニックなどで実際にファンサポーターと接する機会があります。普段接している様子がファンサポーターの方々の応援の姿勢に表れると思っています。メディアがあれば、メディアを通じて選手たちのことを知ることができますが、フットサルはメディアの数も少ないです。そのため、試合会場以外でファンの方々と接することで応援をしてもらう環境を作ることが大事だとずっと思ってきました。だからと言って、接する時に特別なことを意識しているわけではありません。そんなに構えて接しているわけではないですし、クリニックで一緒にボールを蹴ることと同じ感覚で接してきました。
ここまで長くプレーできたのも、応援してくれるファンサポーターの方々がいたからです。みなさんの支えと応援があってこそ、今の岩本昌樹がいます。すごく感謝しています。現役を退いたあとは、フットサルの世界からまったく離れるわけではありません。これからは違った形でここまで応援していただいた恩返しをしていきたいと思っています。
■後輩たちへ託すクラブの未来
引退試合については仲の良い選手を呼んで、Fリーグの前座試合ぐらいでいいかなと。それぐらいの規模感がいいかなと個人的にはそう思っています。ただ引退を決めたとはいえ、まだ実感がありません。普段と変わらず練習に取り組めています。でも最後の大会である全日本選手権になると、さすがに実感が湧いてくるのかもしれません。高橋健介監督にとっても最後の大会ですし、このメンバーで戦えるのも全日本選手権が最後。チーム全員の思いを背負って戦います。
そして全日本選手権はフットサルプレーヤー・岩本昌樹として臨む最後の公式大会です。これまで支えてくれたファンサポーターのためにも、選手権で良い結果を残して最後は笑って終わりたいですし、少しでも僕のプレーする姿を目に焼き付けてほしいと思っています。難しいことではありますが、現役最後の大会である全日本選手権を優勝で終われれば最高です。そのためにもチームメートと力を合わせて全力を尽くします。
あらためてになりますが、ファンサポーターのみなさま、これまで熱い声援で支えてくれたことに感謝しています。僕がクラブの創設から携わってきたバルドラール浦安は、自分にとっての“家”でした。そしてチームメートが家族です。後輩たちに伝えたいことは、僕が愛した浦安がもう一度、“強い浦安”と言われるほど、強固なチームを作り上げてほしいということ。その上で応援されるクラブ、愛されるクラブになってほしい。“強い浦安”の復活と愛されるクラブ。この両輪を目指してほしいです。それは若い選手に託します。もちろん、セグンドや下部組織を含めて、このチーム、クラブに関わる全スタッフ、選手に期待しています。
【プロフィール】
岩本 昌樹(いわもと・まさき)
1976年1月5日生まれ、42歳。千葉県千葉市出身。ポジションはアラ。バルドラール浦安の前身であるPREDATOR URAYASU F.C.のチーム創設から携わる浦安の“バンディエラ”。2017-18シーズン限りでの現役引退を決断した。